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2008年11月02日
テレビはどこまで薄くなるのか(山川義介)
posted by Yoshisuke Yamakawa
今やパソコンもテレビも液晶があたりまえになっているが、当然のことながら数年前まではブラウン管が主流だった。そもそもブラウン管というくらいなので、1897年「ブラウンさん」が発明したものなのだが、1926年 日本の高柳健次郎氏が受像装置の開発を成功した。日本ビクター久里浜研究所にそのブラウン管式テレビ受像器(復刻)があるそうだが、世界で最初にブラウン管に写った文字は日本語の「イ」)とのことだ。(復刻版の映像はこちら)
こうして発達して来たテレビの受像器だが、私が子供の頃のテレビといえば、角も前面もまるくて、後ろに突起がある代物だった。その後、角は直角に、前面は平面になり、サイズも大型化が進みし1インチ1万円という時代があった。私がマルマンにいた頃、14インチのテレビのシェアはトップだったが、入社当時は19,800円くらいだったと思う。どんどん値下がりして最終的9,800円くらいになっていたのではないかと思う(パチンコの景品にもなったくらいだ)。その頃、韓国製の安いテレビは、画面の大きさに対して奥行きは長かったが、ソニーなどは画面に対する奥行き比の低下(薄型化)を実現していた。
その後液晶テレビが出現し、液晶で1インチ1万円という時代が再度復活した感もあったが、今ではサイズより厚みの逆数のほうが、値段との相関が高いと思われる。韓国のLGが2004年に今までのブラウン管より薄く、液晶テレビよりかなり安いといいう、実に中途半端なブラウン管テレビを発表した。この話を聞いた時、液晶テレビの価格がどんどん下がる事などは、誰が見ても明らかなのに、何でまた余計な開発費をかけて商品化をしたのだろうかと、全く理解ができなかった。
一方、今年の3月にソニーがブラウン管テレビ、トリニトロンの歴史に幕を降ろすという衝撃的な報道があり、国内だけではなく海外への出荷も在庫限りとなったわけだ。一部ではトリニトロンという優れたテクノロジが液晶でシャープの後塵を拝する事になったという意見もあるようだが、一世を風靡したことは間違いない。日本ではおそらく地上波デジタルへの移行でほとんどブラウン管テレビが姿を消す事になるだろう。
ブラウン管から液晶への変化は、間違いなくイノベーションだと思う。たとえば、厚みの変化は非連続的であり、原材料も生産方法も非連続的な変化であった。さらに薄くなるという事は体積が大きく変化することから、梱包材を含む物流コストが激減したわけだ。このことは、地球温暖化という問題からも大きな進歩である事は間違いない。
ここまでは、テレビにおけるイノベーションとして誰も疑わないと思うのだが、ソニーが世界最薄という薄さ9.9ミリの液晶テレビを発売したり、CEATEC2008でも相変わらずの薄さアピールであり、薄さ競争は終焉と言われつつも、未だにこの争いは続いているのではないかと思う。一般的な消費者にとって、薄さの効用値がどの程度なのか、コンジョイント分析などを用いて調査をしてみたいところだが、某社のTVコマーシャルは、いかにもこの薄さ競争を地球温暖化対策に取り組む企業姿勢をアピールする材料にしているようで、いささか腑に落ちない。
つまり、イノベーションのスピードというのは、消費者のリテラシー進歩のスピードを超えた時に、キャズムが発生し、イノベーションのジレンマが起きるのではないかと思うからだ。70点を95点にする事に比べ、95点を99.97点にする難しさは尋常ではない。それだけ、そのかかる労力やコストに対しての効果が小さいとも言える。品質管理におけるσの世界であれば、6σを追求する意味があるだろうが、ことイノベーションに関しては、どこまで製品のパフォーマンスを上げるべきかは、よく考察すべきである。
積載効率を95%から99.97%に上げるのにかかるコストが、その効果より遙かに大きいようであれば、追い求めるべきではなく、日本のメーカーは非連続的イノベーションか、またはよりローコストで低品質の商品開発に注力すべきではなかろうか。そのよい事例が台湾製のノートPCだ。今や世界のノートPCの9割は台湾製だと言われている。消費者のリテラシーの進歩のスピードを無視した商品開発を進めると、こういう事が起きるのだと思う。ほとんど使われていない機能満載の携帯電話も全く同じではなかろうか。私が開発者だったら、ひたすら空しさを感じざるを得ない。
2008年11月02日 23:40
