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2009年10月22日

最近はツイッターで呟いています(上村崇)

posted by Takashi Uemura

ブログの更新頻度が益々下がっております。。
最近はもっぱらツイッターで呟いております。

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ブログより圧倒的に気楽に書き込めますし、緩やかな繋がりがたまらなく心地よいです。
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19:19

2009年10月20日

シュンペーターの企業家論(山川義介)

posted by Yoshisuke Yamakawa

前回のエントリーで、シュンペーターが企業家の類型に関して、『「企業家は(1)創意、(2)権威、(3)先見性によって特徴づけられる」「一度創造された企業を単に循環的に経営していくようになると、企業家としての性格を喪失する。」「創造の喜びや勝利への意欲が企業家を動機づけるのであって、決して経済的動機(=金儲け)ではないのである。」』という考えを示した。今回は少しその続きについて、参考文献からの引用をしたい。

(参考文献から引用)

シュンペーターは、企業家の行動を適切に解釈する動機として、
(1)私的帝国を建設しようとする夢想と意志。
(2)勝利者意志、利潤量はしばしば別の指標がないというだけで成功の指標になる。
(3)創造の喜び、企業家は変化と冒険とまさに困難そのもののために、経済に変化を与え、経済の中に猪突猛進する。
を挙げている。さらに彼の見解で注目すべきは、危険を引き受けることは企業家機能の要素ではない、ということである。危険を負担する者は、常に資本家だけである。企業家は、しばしば資本家として危険を負担することがあるというにすぎない。通常は、事が失敗しても損失をこうむるのは信用供与者である。*1

静態的な(外圧だけで動く)経済における企業の活動は、過去における企業の活動(売上げ)によって自らファイナンスされるのに対して、新結合はまさに新結合であるがゆえに「すでに流入しつつある収益によってまかなうことができない」。つまり新結合はその定義からして「ベンチャー」なのであり、企業の内部留保によってファイナンスすることは不可能だから必ず外部の資金に頼らなければならない。そうした資金の出し手が「資本家」である。資本家は新結合の担い手としての「企業家」とは全く異なる存在であることに注意しなくてはならない。企業家が「ベンチャー起業家」だとすれば、資本家は「エンジェル」などと呼ばれる資金の供給者である。*2

起業者であることは職業ではなく、通常一般的には永続する状態ではない。消費者はもちろん、企業の経営者ですら大多数の人は「慣行」に基づき行動している。これまでのやり方がうまくいかなくなったとき、大多数の人は、とまどい立ち往生するものだ。新結合の遂行者たる「企業者」は、ここで立ち往生しない人々なのである。 *2(「企業者」は「企業家」に、現代では「資本家」は「VC」と置き換えるとわかりやすいかもしれない)

参考文献
*1 J.A.シュンペーター 清成忠男編訳:「企業家とは何か」(東洋経済)
*2 「吉川洋:いまこそケインズとシュンペータに学べ」(ダイアモンド社)

シュンペーターという経済学者は、現代においても我々創業者であり企業家にパワーを与えてくれる。「企業家は歴史を超えた存在である」とも言っている。シュンペーターが主張する、景気循環を引き起こす、産業革命に匹敵するイノベーションが起こせるかどうかは別として、限られた予算の分配方法変更や借金での経済成長はあり得ず、画期的な新技術、新製品の出現のみが、閉塞感のある経済を打開する鍵ではないかと思う。そのために、我々ベンチャー企業がその一翼を担えれば、これほど幸せなことはない。

15:37

2009年10月18日

企業家と起業家の違い(山川義介)

posted by Yoshisuke Yamakawa

数日前、ツイッターで、「誤解をおそれずに言えば上村君は企業家、僕は起業家だ。(目指している方向が)」とつぶやいてみた。英語の『entrepreneur』の訳としては、「企業者」が用いられたり、最近(ここ20年くらいか)は「起業家」が用いられたりしているが、最も多いのは「企業家」のようである。

「~家」と言えば、作曲家、小説家、画家、翻訳家、建築家、政治家・・・・など、一芸に秀でていたり、その分野でのスキルや立場が高かったりと、卓越したプロフェッショナルをイメージする。しかし、企業家にしても起業家にしても、あまり卓越したプロフェッショナルと呼べる何らかの定義付けがないように思う。

企業家の概念を歴史的に見てみると、1725年にR.カンティオンが提唱したと言われる「先見の明を持ち、危険を進んで引き受け、利潤を生み出すのに必要な行為をする者」というのが、私が知る限りににおいて最も古い。1803年には、J.B.セイが「他者を結びつけて生産的な組織体を形成する行為者」と言い、その後もC.メンガーやA.マーシャルなども様々な概念を提唱しているが、企業家と言えば、シュンペーターを語らずにはいかないだろう。

オーストラリア出身の経済学者シュンペーターは1883年2月に生まれたのだが、この年には、翌3月にマルクスが亡くなり、6月にケインズが生まれており、経済学の歴史において特別な年だと言える。因みにシュンペーターが亡くなったのは、1950年の1月8日、つまり私が生まれる丁度7年前であった。(私にとっては歴史上の人物というより結構最近だなあという感じがする)

このシュンペーターは次の5つの新結合によってイノベーションが生まれるとした。

(1)新しい財貨(商品)の生産
(2)新しい生産方式の導入
(3)新しい販路の開拓
(4)新しい供給源(仕入先)の獲得
(5)新しい組織の実現

この新結合の担い手こそが、「企業家」だとするのが、シュンペーターの基本的な考え方だ。「企業家は(1)創意、(2)権威、(3)先見性 によって特徴づけられる」「一度創造された企業を単に循環的に経営していくようになると、企業家としての性格を喪失する。」というあたりは、彼の企業家に対する考え方を明確に表現していると思う。つまり、「創造の喜び」や「勝利への意欲」が企業家を動機づけるのであって、決して経済的動機(=金儲け)ではないのである。

もう一つ別の視点でシュンペーターは、「企業家は新結合の遂行に重点を置いており、発見や発明に力点を置いていない」としている。「企業家は発明家であることもあるが、原理的には偶然に過ぎない」「企業家は、発明や技術に着目し、新結合の可能性を見抜き、企業活動を展開する」とも言っている。 これらから、「シュンペーターの企業家像」というものが、おぼろげに見えてくる。

一方、起業家に関しては、早稲田大学の松田修一教授が『起業論』の中で、「自己のビジネス上の夢(目標・ロマン)を実現するために、成長する市場に独創的な製品やサービスによって、存在するリスクをギリギリまで計算し、果敢に挑戦し続ける強靭な意志を持った自主・独立意識と社会性・国際性を備えた成長意欲の強い創業者」と述べている。

こう考えると、現実はどうかは別として、私が目指しているのは、「起業家」であり、上村君が目指しているのは「企業家」ではないかと思う。あの『P.F.ドラッカー』は「イノベーションのための7つの機会」で、新しい知識、つまり発見や発明は、信頼性や確実性が低くリスクが高いとして、最も低い位置に据えている。しかし私は独創的な商品やサービス(他社になく独占できるもの)を開発するのが自分の使命であり職業だと考えている。それだけオリジナルへのこだわりも強い。インタースコープ創業時にいた平石さんの奥様が私のことを「山川さんはドクター中松の様だ」と言った。「お金儲けより何かを発明することが好きなんだ」と。だから金儲けが下手だという意味だったのかもしれないが、それなりに納得した。

こう考えてみると、私は「起業家」で、上村君は「企業家」なのかなと思うわけだ。もちろん目指している方向がだが・・・。

22:26

2009年10月12日

迂回生産方式マネージメント(山川義介)

posted by Yoshisuke Yamakawa

「迂回生産」という言葉はあまり聞き慣れないかもしれないが、経済学ではよく使われる。機械、設備などの生産手段をまず生産し、それを使用して消費財を生産する方法のことで、簡単に言えば手で魚を捕るのではなく、まずは釣り竿を作ってから魚を捕ろうという考えだ。一見、遠回りに見えるが最終的には効率がよく近道であるということなのだが、これは日々の仕事のやり方でも同じことが言える。

身近な例で言えばエクセルのマクロもそうだ。1つの作業であれば、マクロを使うより手でやったほうが早いだろうが、数が増えれば圧倒的にマクロを使ったほうが早い。難しいのは、手で魚を捕り続けた成果と比較し、釣り竿を作る投資によって得られる魚の将来価値が、どのくらいのスピードでそれを上回るかという判断だ。あまりにも釣り竿を作るのに時間もコストもかかってしまったら、その間に捕れなかった魚の損失を補填できなくなってしまう。時には人海戦術で手で魚を捕ることも必要だ。特にスピード重視のベンチャーにおいては・・・・。

一方、学生アルバイトでもできるルーチンワークを経営者がやっていれば生産性が上がるはずがない。経営者やリーダーがすべきことは、自分でなくてもできる仕事はどんどん他者に任せ、自分は自分にしかできない仕事、クリエイティブで高度な仕事をするということだ。ALBERTでは、社員がアルバイトに教え、さらにはアルバイトがアルバイトを教える文化を作ろうと言っている。これは究極のリーダーシップの連鎖だ。

収益を上げるビジネスモデルには5種類ある。

(1)何もしなくても収益が上がるモデル
(2)一部の優秀な社員とオペレータと設備やコンピューター等で収益が上がるモデル
(3)一般社員が中心になり、外注などを活用して収益が上がるモデル
(4)一部の優秀な社員やリーダー、スキルの高い層が中心になって仕事をして収益が上がるモデル
(5)マネージメント層が中心になって仕事をしないと収益が上がらないモデル

さらに6番目としてベンチャー企業などでは、

(6)創業者が中心になって仕事をしないと収益が上がらないモデル

というのもありそうだ。ステイタスとしては、それでも収益が上がっていない場合もあるが、モデルとしての考え方なのでそこは議論しない。

もちろん、どれか一つということではなく、(1)~(6)までの比率の問題だ。(6),(5)→(1)へと比率が上がっていくモデルが最もよいわけであって、創業者が頑張らないと収益を上げられないモデルは最低だということが言える。

(1)の「何もしなくても」というのは極端だとしても、ほとんど何もしなくて収益が上がるモデルは極めてレアだと思うが、特許収入とか著作権収入などの利権ビジネスがそれに近い。

(2)のモデルとしては、アパート経営や駐車場経営などもそうかもしれないが、我々が目指しているASP(Saas)型ビジネスはこれだ。

大企業に多いパターンは(3)ではないかと思う。大企業の多くは、最も仕事をしているのが一般社員であり、経営者はそれほど長時間労働をする訳でもなく、外注や派遣社員などを活用して収益を上げている。中堅企業や中小企業は、(4)または(5)のパターンだろう。零細企業はほとんどが(5)ではなかろうか。

そして、ALBERTを含む多くのベンチャー企業がまだまだ(6)の段階ではないかと思う。しかし、我々が目指しているのは(2)のパターンであり、(6),(5)から一気に(2)に昇華させようとしている。徐々に(2)に向かったのではとても間に合わないのだ。さらに言えば、実は(3)から(2)に移行することはあり得ない。なぜなら(2)には多くの社員は必要ないからだ。一部の優秀な社員で収益を上げるビジネスモデルは、(3)は飛び越すのである。

そこで重要になるのが「迂回生産方式のマネージメント」だ。自分がやれば早いしミスも少ない。だから自分でやる。また自分の仕事を人に任せてしまうと自分の存在意義が薄れる。なので人に任せない。企業において迂回生産ができない大きな2つの理由がここにある。優秀なリーダーは、多少のリスクや心配があってもそれを人に任せる。また任せた以上は自分が責任を持つ。これを実現しない限り、いつまでたっても(2)のモデルにはならない。一度でも任せた人がミスをすると、「ほらみろだから任せられんだ」、「だから自分がやるんだ」、という考え方では、迂回生産方式はできず、ずっと手で魚を捕り続けることになる。

最近、データ解析はその方向性だけ示して、どんどん菅由紀子に仕事を任せている。その菅はその仕事を咀嚼して商品企画部のスタッフに任せている。今では、解析のテクニカルな部分だけを取れば、圧倒的に菅のスキルが上がって来ており、さらに言えば、私よりインターンや学生アルバイトのほうが、はるかに解析ソフトを使いこなしている。時々、咀嚼の仕方を間違えたり、早とちりで手戻りが発生したりもしているが、概ねよい方向に向かっていると思う。

次の段階として、解析の方向性や分析方法の開発、結果の解釈や次へのアクションまでできるようになれば、どんどん(2)のフェイズに近づいていく。分析の方法をパターン化し、サーバーができるまでに昇華できれば、真に「分析力を武器とする企業」になれるはずだ。

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