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2009年10月18日

企業家と起業家の違い(山川義介)

posted by Yoshisuke Yamakawa

数日前、ツイッターで、「誤解をおそれずに言えば上村君は企業家、僕は起業家だ。(目指している方向が)」とつぶやいて見た。英語の『entrepreneur』の訳としては、「企業者」が用いられたり、最近(ここ20年くらいか)は「起業家」が用いられたりしているが、最も多いのは「企業家」のようである。

「~家」と言えば、作曲家、小説家、画家、翻訳家、建築家、政治家・・・・など、一芸に秀でていたり、その分野でのスキルや立場が高かったりと、卓越したプロフェッショナルをイメージする。しかし、企業家にしても起業家にしても、あまり卓越したプロフェッショナルと呼べる何らかの定義付けがないように思う。

企業家の概念を歴史的に見てみると、1725年にR.カンティオンが提唱したと言われる「先見の明を持ち、危険を進んで引き受け、利潤を生み出すのに必要な行為をする者」というのが、私が知る限りににおいて最も古い。1803年には、J.B.セイが「他者を結びつけて生産的な組織体を形成する行為者」と言い、その後もC.メンガーやA.マーシャルなども様々な概念を提唱しているが、企業家と言えば、シュンペーターを語らずにはいかないだろう。

オーストラリア出身の経済学者シュンペーターは1883年2月に生まれたのだが、この年には、翌3月にマルクスが亡くなり、6月にケインズが生まれており、経済学の歴史において特別な年だと言える。因みにシュンペーターが亡くなったのは、1950年の1月8日、つまり私が生まれる丁度7年前であった。(私にとっては歴史上の人物というより結構最近だなあという感じがする)

このシュンペーターは次の5つの新結合によってイノベーションが生まれるとした。

(1)新しい財貨(商品)の生産
(2)新しい生産方式の導入
(3)新しい販路の開拓
(4)新しい供給源(仕入先)の獲得
(5)新しい組織の実現

この新結合の担い手こそが、「企業家」だとするのが、シュンペーターの基本的な考え方だ。「企業家は(1)創意、(2)権威、(3)先見性 によって特徴づけられる」「一度創造された企業を単に循環的に経営していくようになると、企業家としての性格を喪失する。」というあたりは、彼の企業家に対する考え方を明確に表現していると思う。つまり、「創造の喜び」や「勝利への意欲」が企業家を動機づけるのであって、決して経済的動機(=金儲け)ではないのである。

もう一つ別の視点でシュンペーターは、「企業家は新結合の遂行に重点を置いており、発見や発明に力点を置いていない」としている。「企業家は発明家であることもあるが、原理的には偶然に過ぎない」「企業家は、発明や技術に着目し、新結合の可能性を見抜き、企業活動を展開する」とも言っている。 これらから、「シュンペーターの企業家像」というものが、おぼろげに見えてくる。

一方、起業家に関しては、早稲田大学の松田修一教授が『起業論』の中で、「自己のビジネス上の夢(目標・ロマン)を実現するために、成長する市場に独創的な製品やサービスによって、存在するリスクをギリギリまで計算し、果敢に挑戦し続ける強靭な意志を持った自主・独立意識と社会性・国際性を備えた成長意欲の強い創業者」と述べている。

こう考えると、現実はどうかは別として、私が目指しているのは、「起業家」であり、上村君が目指しているのは「企業家」ではないかと思う。あの『P.F.ドラッカー』は「イノベーションのための7つの機会」で、新しい知識、つまり発見や発明は、信頼性や確実性が低くリスクが高いとして、最も低い位置に据えている。しかし私は独創的な商品やサービス(他社になく独占できるもの)を開発するのが自分の使命であり職業だと考えている。それだけオリジナルへのこだわりも強い。インタースコープ創業時にいた平石さんの奥様が私のことを「山川さんはドクター中松の様だ」と言った。「お金儲けより何かを発明することが好きなんだ」と。だから金儲けが下手だという意味だったのかもしれないが、それなりに納得した。

こう考えてみると、私は「起業家」で、上村君は「企業家」なのかなと思うわけだ。もちろん目指している方向がだが・・・。

2009年10月18日 22:26