『企業理念』は、「創業者が策定し経営者が企業を経営するに当たっての考え方や愛情を示したもの」であり、『経営理念』は、「企業理念をベースに時代のニーズに対して柔軟に対応する経営の羅針盤」だと定義している。経営理念と企業理念は同一であるという考え方もあるが、私は明確に分けて考える立場を取りたい。
経営理念とビジョンはどう違うのかという質問が出そうだが、「中期ビジョン」と言うが、「中期経営理念」とは言わない。余談だが、言葉の意味の違いは、その用法を複数挙げることで理解できることが多いので、参考にして欲しい。
企業(経営)理念は変わってもよいかという質問を受けることがあるが、上記の様に明確に分けている会社であれば、「企業理念」は普遍的だが、「経営理念」は変わってもよいと言うことになる。
また、経営理念は役員会議で検討してもいいし、社員を交えて検討してもよい。経営理念と企業理念をほぼ同義に捉えている会社では、部分的な文言や表現レベルは変わっても、その本質は変わるべきではないので、企業(経営)理念を時代に対応して変えたり、皆で考えたりするということはなかなか難しいと思う。私も以前はほぼ同義という立場を取っていたのだが、時代性の反映や決め方の点でどうもすっきりしない所を感じており、考え方を変えた。
私の中には、「良い企業(経営)理念」と「あまり良くない企業(経営)理念」というものがある。良い企業(経営)理念は、ある程度の具体性や、よりどころにした時に何らかのソリューションが得られるものが必要だと考える。
逆に、あまりにも具体的過ぎるものは「理念」とは言えない。
企業(経営)理念のテキストマイニングをした人がいるらしい。よく出てくる単語として、「世界」「社会」「奉仕」「価値」「夢」「豊かな」「人」「社員」「株主」「お客様」「実現」「使命」などが挙げられるそうだ。これらの言葉をいくつかつなげれば「企業(経営)理念もどき」は簡単に作れる。
ただ、「当社の経営理念は『社会に奉仕する』です」と言ったところで、これで企業の存在理由が明確になり、創業者の意志としてよりどころになるだろうか。
私が新卒で入社したTDKの経営理念(TDKには企業理念という言葉はなかったと思う)は以下の通りだ。
TDKの経営理念は、社是と社訓から構成されている。「社是」はテキストマイニングの結果そのもの様だが、それに続く社訓と社訓の説明で具体性を補っている。そういう意味で、非常にバランスのよい経営理念だと言える。
企業(経営)理念には、適度な具体性が必要だと述べたが、もう1つ重要なのは「どうやって」「どのように」という手段の明確化が必要なのだ。TDKは「創造によって」、インタースコープは「科学的アプローチと徹底した人間主義により」、ALBERTは「ITの活用による」という言葉が頭に着いている。詳細説明に入れてあればよいという考えもあるが、私はヘッドコピーとして、この因果を明確にすべきだと考えている。
ALBERTの経営理念は、「ITの活用による情報の最適化で、意思決定と問題解決を支援する」であり、事業コンセプトは「分析力をコアとする情報最適化企業」だ。ALBERTは明確な企業理念のもとにこの経営理念を実現するために、経営計画を立て、理想の会社を目指して事業を推進して行く。
「人」は、産まれたその瞬間から「生きる」という本能の元に成長を続け、幸せな人生、豊かな人生を送るために勉強をし、仕事をし、社会に貢献する。これを実現するために、人類は永遠に繁栄し続けなくてはならない。では、この繁栄は何によってもたらされるのだろうか。これまで人類は道具や機械など、常に有効な財貨を創り出し、それを使うことで繁栄して来た。つまり、我々は常に有効な財貨をより多く創り出す義務を負っていることになる。「人」というものは、その字が表す通り、もたれ合う間柄であり、独りでは決して生きられない。そのため人間はこの目的を達成する手段として、分業・協業という関係を作り、現代ではその担い手が企業となっている。従って、我々が会社で働くということは、そこにある設備やパソコンなどを使って、言い換えれば会社を使ってより多くの社会的付加価値を創り出すことであり、そのような場が会社であり、企業だと言える。 このように、会社は各人の労働成果を最大にする手段である訳だから、多くの企業がそうであるような「会社が人を使う」という考え方は主客転倒している。また、人類は永遠に繁栄し続けなくてはならないから、その担い手である企業も存続と成長をし続けなくてはならない。そして会社を使う人間は、成長を可能にするために、利益を上げる義務を有している。社会的要請である優れた財貨、優れた付加価値を創造した企業が、より利益を上げ発展することになる。人類発展の担い手である企業が「公器」であると言われるのは、こういった理由による。
人は誰でも豊かな人生を送りたいと思っている。中には山奥で独り霞を食って行けばそれが楽しい人生であるという人もいるかもしれない。しかし私は、現代社会で豊かな人生を送るためには、お金と時間が必要だと考えている。この必要なお金と時間を得るための努力は、決して惜しんではいけないし、お金や時間を得ることを躊躇してもいけない。逆に頓着すべきだと思う。「富を創造するには労働しかない」とマルクスが言った。(遺産相続や宝くじの賞金などは富の創造とは言わない)労働を通して富を創り出すためには、人が肉体を使って働くより、知恵を出してより少ない時間でより多くの成果を出した方が良いに決まっている。少ない時間でより多くの成果を出すためには、どうすれば良いのだろうか。みなさんが毎日やっている仕事をもう一度よく見直して欲しい。同じ作業を何度もやっていないだろうか。面倒な操作を手作業でやってないだろうか。生産の現場では、テーラーの科学的管理法に見られるような経営管理手法が1900年代初頭より行なわれているが、営業や事務、サービス業の分野ではまだまだこの考え方が浸透しているとは言えない。 エクセルには同じ作業を何回も行なう場合に使う「マクロ」という便利な機能がある。エクセルを使えるという人の中で、マクロの使用経験がある人が非常に少ないのにはいつも驚かされるが、やってみれば、それほど難しい機能ではない。若干ハードルが高いかもしれないが、一回越えてしまうと、そこには楽園が待っている。今まで繰り返し行なってきた作業を、いとも簡単にエクセルが勝手にやってくれる。まさにこれが富を創り出すための第一歩だ。繰り返し作業は機械やパソコンにやらせる。これが知恵を出し少ない時間でより多くの成果を出す基本的な考え方だ。 さて、知恵を出す方法で一番刺激的なことは何だろうか。これは自分の欲望が充足されることにある。どういう欲望かと言えば、「自分の能力が成長する喜びだ」と言える。今まで5時間かかっていた集計作業を、自分で知恵を出し10分でできるマクロを組んだとすれば、これほど嬉しいことはない。パソコンが仕事をするからミスもない。しかも余った時間は有効に活用できる。人はこのような自分の成長を見た時に、労働の喜び、生きている喜びを感じるのだと思う。人に誉められれば嬉しいが、私は自他共に認めることが最大の喜びだと考えている。
年功序列がいけないとよく言われるが、それは間違いだ。年とともに功(よい成績を収め立派に仕事をする)が増大するのであれば、それに従って報酬が上がることは当然だ。いけないのは年功序列ではなく、「加齢序列」だということだ。 昨今のIT社会、スピード経営の時代には、年とともに功がどんどん減少し、最終的には会社にとってマイナスに作用する人さえ出てきた。「人材」が「人在」になり「人罪」になるというわけだ。にもかかわらず地位や報酬が上がったり、または維持されたりすることは、他の社員のやる気をなくす一番の原因になる。高度成長期の経営スタイルを踏襲してきた大企業や銀行などは、まさにこの様な状況に陥っている。とりわけ問題が大きいのは、公務員や特殊法人の世界だ。人が努力をし、成果を上げた時、これに相応の報酬が得られなくて誰がさらなる努力をするだろうか。 私が以前中国の工場を回った時、勤勉に仕事をする現場と資本主義社会の経営者と変わらない努力をしている経営者に驚かされた反面、中間管理職の無気力な職場のコントラストに唖然としたのを覚えている。経営者でないので、歩合もなく業績と給料も関係ない。こういう人々の部屋に入ると、何も置いていない机に1日中ただ座っているかの様に見えるほど、ボヤッとしている訳だ。共産主義の一面を見た気がした。 ところがその光景を、ある区役所で見た。机の上こそ雑然としているが、窓口やその後ろに控える人々が、何もせずにボヤッとしている。ごく普通の会社であれば、職場の改善提案をするとか、整理整頓をするとか、業務に追われない時には、何らかの向上心を持ってことに当たると思うが、役所ではそういう努力をしても、報酬が上がる訳でもなく、キャリアとノンキャリアという人種差別に近い制度の中では、努力をしなくなるのだろうと思った。決して役所や特殊法人に勤めている人を非難しているのではない。過去は良かったかもしれないが、現代にそぐわなくなったシステムを変革しない行政に問題がある。人は自分が努力して創出した成果に対して、相応の対価を得られないのであれば、やる気をなくすのは当然の帰結と言える。
「労使関係」という言葉がある。これほどおかしな言葉はない。労働者側と使用者側という意味だが、同じ目的を有した企業を運営するのに、なぜ使用する側と使用される側があるのだろうか。一般の経営者は人間を労働力という商品として、原材料や設備機器と同列に扱う。これはコストだから、利益を上げるためには当然コストを下げなくてはならない。つまり賃金はなるべく安くしようとする。これに対して労働者は、社会情勢や経営状況、自らの付加価値創出量に関係なく賃金は高くしたいと考える。ところが使われる労働者側は通常立場が弱いから、安い賃金で我慢せざるを得ない。この弱さを補ってくれるのが労働組合であり、その力で経営者側と交渉を行なうわけだ。後で詳しく述べるが、給料は高いほうがよいと思っている。こういう会社に組合が必要だろうか。経営者が、社員の所得を上げることを考え、その方向性を示し実践するとすれば、労働組合は不要だ。さらに社員全員が経営者精神を持つことで、経営者と社員という垣根さえなくなる。
会社にとって一番大切なものは何かと聞かれれば、私は躊躇せずに「社員」と答える。私が尊敬する元上司でもあるTDKの澤部前社長は、TDKにおけるステークホルダーについて、「理論的には株主、理想的には社会、現実的には顧客、心情的には社員。」と言われた。澤部前社長のお立場上、その中でどれが一番大切かということは、明言されなかったのだと思うが、私は社員が顧客満足の極大化を行なうことが、最終的に株主への責任、社会への奉仕だと考える。
会社の力は何かと言えば、それは社員の能力の総和だ。では社員の能力とは何かと言えば、加ト吉創業者の加藤義和氏の言葉を借りれば、能力=素質×教育×熱意(やる気)という式で表わされ、つまり、会社の力=Σ社員の能力=Σ(素質×教育×熱意)ということになる。
素質は会社に入って以降は、あまり伸ばすことはできない。とすれば社員の能力を向上させるには、熱意、やる気を持てるような環境作りと、教育しかないということになる。すなわち、会社の力を伸ばすために我々経営者のすべき大きなことは、社員がやる気になって働ける環境作りと教育という結論に至る訳だ。私が松下幸之助の言葉を借りて「経営者の仕事は方向指示器付きお茶くみだ」とうよく言うのだが、お茶くみというのは、まさにこのことを指す。
「社員が大切だ」と主張すると、それは株主軽視だと言う人がいる。大きな間違いだ。会社は誰の物かと聞かれれば、株主の物だと答える。会社の大きな意志決定はすべて株主総会で決められる訳だし、株主の資金で企業は成り立っているのであって、株主価値を上げることが経営者の使命であることは言うまでもない。社員を大切にすることで世の中に付加価値を提供し、株主価値を上げるということだ。物事には因果があり、結果を出すためには原因を作らなくてはならない。つまり株主価値を上げるためには、社員を大切にしなくてはならないのである。
※ステークホルダー
ステークホルダーとは、企業のさまざまな活動によって影響を受ける人々、あるいは組織のことであり、通常は「利害関係者」と訳されている。代表的な利害関係者としては社員、取引先などが挙げられるが、最近では地域社会も含んで考えられる。企業にとって最大の利害関係者である株主についてはシェアホルダーとして、ステークホルダーに対立する概念として扱う考え方と、株主もまたステークホルダーの一部をなすという考え方と二通りあるようである。私は後者の立場をとっている。
※社員
ここでは代表的に社員と言っているが、契約社員や派遣社員、インターンやアルバイト含め、関連するスタッフ全員を指す。
「企業は道場」これは、TDKの元社長である素野福次郎氏がよく使われた言葉だ。「企業というところは人を教育し、人の質を高めるところである。企業が道場であり、経営が指導であるとするならば、経営者は教育者である。」(人を育てる:素野福次郎、講談社)。まさにその通りだと思う。私がどういう社員になって欲しいと思っているかだが、最終的には教養の高い人になって欲しいと思う。社員を採用する時に、オール5の人が最高だが、もしオール4を採用するなら、全部3でもいいから、1つでも5がある人を採用したいと考えている。なぜなら、オール4が100人いても、その会社の力は4以上にはなり得ないからだ。ただし、専門バカでよいという訳ではない。大学でいう教養課程を横軸、専門課程を縦軸に取り文字で表すと、専門性だけがある人間はI型人間、さらに広く色々なスキルを持っている人はT型人間、さらに2つの専門性を持っている人間をπ型人間という。初めはI型でその深さを追求してもよいが、やはりより幅広い知識を蓄えて欲しい。ただ、これからの時代は、専門性が1つでは物足りず、例えばWeb制作には、イラストレータやフォトショップなどデザインスキルだけでなく、HTML、CSS、FLASHなどのSI系スキルも必要になるように、専門性が複数必要になる時代になって来ている。さらに贅沢を言えば、専門性をもっと増やし、どんどん教養もつけて、「クラゲ型人間」になって欲しいと思う。
年を重ねると、若い頃に勉強した専門性は、なかなか生かせなくなることが多い。昔取った杵柄という言葉もあるが、昨今のIT進化のスピードにはなかなか追いつけず、無用の長物になることも多い。そうなっても残るのは、多くの経験や知識に裏打ちされた教養だと思う。教養があれば、たとえば絵画を見ても、音楽を聴いても、海外旅行をしても面白い。同じ遺跡を見るのでも、その歴史を知って見るのと知らずに見るのではまるで感動が違う。お金と時間ができた時に、本当に豊かな人生を送るためには、教養を身につけることがとても重要だと思っている。そういう意味で、社員には単に会社の業務内容やスキルだけでなく、物事の基本的考え方や一般教養など、様々なことを教育し、かつお互いに教え合い共有し、高め合う風土を作っていければと思う。
ALBERTは一部上場企業の平均に比べて、休みは1.5倍、所得は2倍を目指している。豊かな人生のためには充分な時間とお金が必要だと考えるからだ。人の1.5倍休んで2倍の所得を得ようと思えば、理論的には生産性を3倍にしなくてはならない。 まず目指すのは、週休2日を週休3日にすることである。会社の営業日数は年間240日としているので、これは変更しないが、一人ひとりは年末年始や祭日の他に有給休暇や特別休暇で40日は休みが取れるようにする。それ以外にALBERT独自の会社年休もあるので、会社は常に80%の人員で稼働していることになる。現在の年間就労時間は、恐らく10時間×230日で2,300時間は超えているだろう。当面の目標は、10時間×200日で2,000時間を切ることで、将来的には1,600時間としたい。また所得2倍に関しては、賞与12ヶ月を目指す。もちろん、基本給も一部上場企業の平均より高い設定をする。逆に言えば、相応の人しか採用しないということだ。賞与12ヶ月というと、そんなことは不可能だと思われるかもしれないが、私が新卒で就職したTDKもそれに近い実績を上げていた時代があるし、マルマンでは賞与を14ヶ月もらっていた人もいた。つまり、賞与12ヶ月を実現することは、さして難しいことではない訳だ。 先ほど、給料は高いほどよいと考えていると述べた。給料が高いという意味は、能力が低いのに高いという意味では決してない。相応に高いことをいう。生産性が高いから給料が高くできるのであって、給料の高い社員がたくさんいる会社は、それだけ企業としての生産性が高いということになり、結果として利益率も高くなる。生産性が3倍などと言うと、そんなことはあり得ないと思われるかもしれないが、私が知っている会社で、どう考えても1/3しか仕事をしないで同じ給料をもらっている人がいる。それに対してALBERTは一部上場企業の平均的な生産性に比較して、遙かに高い水準であると思う。現段階では、まだ先行投資で仕組みを作っているステージであり、残念ながら休み1.5倍も給料2倍も実現していないが、5年後には必ず実現させたいと思っている。
株式会社ALBERT
代表取締役会長 山川義介